泉田くんと放課後喫茶店



 箱根学園において、自転車競技部の男ってのは概ね女子からモテるものだ。
 スポーツ進学校である箱根学園のなかでも、自転車競技部はインターハイの常勝校だものね。そこに在籍しているってことは、それそのものがアピールポイントでありセールスポイントになるのだ。
 とはいえ、女子の目ばかり気にしてる男は上には行けない。自然とレギュラーは女に興味のない男衆で固められ──いや、東堂先輩は特別だけどさ。

 東堂先輩は置いておくにして、福富さんも新開さんも荒北さんも「女と居るよりペダル回してる方が面白い」ってタイプでしょう。
 黒田も葦木場も、銅橋や真波も、そうだ。
 それにおそらく東堂先輩だって、女の子とイチャイチャするか自転車かの二択を迫れば自転車をとると思うな。あの人はは注目されたいだけだからな。
 そうじゃなきゃ今井先輩に彼女がいて東堂先輩が彼女いなかったのはおかしいだろう。
 ……別に今井さんを悪く言う訳じゃないけどさ。軽薄だけどいい人だよね、うん。
 もう卒業した人の話したって仕方ないけどさ。

 話がずいぶんと逸れたね。いや、そもそも始まってすらいなかったか。話下手でごめん。
 私が言いたいのはさ、つまりだ、泉田くん──。

「わ、私たち恋愛してる場合じゃないと思うんだ……」
「……なるほど」

 泉田くんは私の言葉にもっともらしく頷いて、背もたれに身体を預けた。腕をくんで顎をあげて、私を上から観察する。
 スプリンターとして鍛え上げられた肉体はがっしりしていて、こうして向かい合うと少し威圧感がある。
 喫茶店のドリンクを飲みながら泉田くんから目をそらした。
 窓から見える駐輪場には、泉田くんと私のロードバイクがある。防犯防止に繋ぎ止めあって、塀に立て掛けているそれを見ると、なんとも言えない気持ちになってくる。
 こんなところで、付き合わないかと突然言い始めた泉田くんは、なにを考えているんだろう。周囲の人に聞こえていないか気になってしまう。

「最後のインターハイは無事終えたし、頃合いだと思うけどね、ボクは」
「……大学受験控えてるでしょ」
「ボクはスポーツ推薦、も学力的には全然問題ないと思うが」

 理詰めで攻めてくる。泉田くんのまっすぐなところは彼のとてもいいところなのだけど、こういう時にははっきり言って面倒くさい。
 私は必死に、断る理由を考えてしまう。

「だ、だいたい、こんなとこで言う話じゃないよ」
「二人きりの時に話したら、逃げるだろう」
「……泉田くんのそういうとこ嫌いだな」
「フフ、誉め言葉かい」

 泉田くんは自信たっぷりに笑うと、びくりと大胸筋を揺らして見せた。高校三年間、マネージャーとして泉田くんのそばにいて、もう見慣れてしまった仕草だった。

「アンディとフランクがご機嫌みたいでなによりだよ」
といるからね」
「……あのねー」

 泉田くん、どこまで本気なんだろうか。冗談を言うタイプではないし、口ぶりからすると真面目に言っているようだけど。

 ――、そろそろ付き合わないか。

 放課後喫茶店に呼び出されて、そう言われた。
 そろそろ、ってなんだ。そろそろ、って。まるでお互い好きあってるみたいな言いぐさだ。
 別に、別に私は。なんとも思ってない。恋愛になんて興味なかった。
 ただただ、自転車競技をすぐそばで見ていたかっただけだ。
 同じクラスの泉田くんとは、部活の縁でずいぶん仲良くなった。
 一年のとき伸び悩んでいた泉田くんがスランプを乗り越えて躍進したときは自分のことのように嬉しかった。一年の冬──走るのをやめていた新開さんが再び自転車に乗り始めたときは、二人して泣いて喜んだ。
 だけど、そこになにかがあるかと言えば、たぶん違う。

「やっぱり付き合えないよ。たぶん、期待に応えられない」
「期待?」
「例えば泉田くんの部屋にお呼ばれして、いい雰囲気になるとするじゃん」
「あ、ああ……」
「そんでドキドキしてたらベッドに押し倒されるわけ」
「なっ!いや、ボクだってそんな大胆なことは……!」
「まあ聞いてよ。これからなにされるのかしら!?きゃーっ!! ってなってたら、泉田くんは私に覆い被さりながらプランクをはじめるんだ」
「…………」
「って言うところまで想像して、泉田くんの彼女やるの荷が重いな~って」
「完全に妄想だよそれは」

 プランクというのは、肘から手首を床にベッタリつけて、お腹を浮かせて爪先で身体を支える筋肉トレーニングだ。
 筋肉をこよなく愛する泉田くんのこと、ムードとかそっちのけで筋肉トレーニングをはじめそう、という偏見がある。
 泉田くんはじとりと私を睨む。大きな目が細くなった。

「ボクだって、ムードぐらい考えるさ。もっとも、そういうことするボクで居てほしいなら善処するが」
「ん」
「それに……無理強いをする気はないさ。大切にする気だよ、ボクは」

 見透かされているな、と思った。なるほど交際経験ゼロの私の不安など、泉田くんはすべてお見通しらしい。
 
「だから──

 びくりと、目の前で彼の大胸筋がはねた。左。

「ボクと付き合ってほしいんだ」

 びくん、と今度は右がはねる。
 余裕さを取り繕えているのは表情だけで、泉田くんも実際は余裕がないらしい。
 びくん、びくん、と泉田くんの大胸筋が強張るように揺れる。

「あのさ、大胸筋で催促しないでよ」
「……ん」

 そこでやっと大胸筋の動きに気づいたらしい泉田くんが胸に手を当てる。深呼吸をして気を落ち着かせる泉田くんを見ていると、ぷっと笑えてきた。

「だめ、ごめん、負けでいい。わかった」
「な、なにが」
「付き合うよ」

 泉田くんの顔がパッと明るくなった。アンディとフランクの次ぐらいに大事にしてねと言ったら、私の笑いは泉田くんにまで伝染する。
泉田くんが笑う度にアンディとフランクが震えているのに気づいて、いよいよお腹が痛くなる。
 このひとと付き合う女の子は退屈しないだろうな、と他人事のように思った。





2016/08/05:久遠晶