はた迷惑なおせっかい
「なぁ、メールアドレス教えてくれへん? ワシ、おまえのこと気に入ったんじゃ」
「は? あんた、バカ?」
にやにやにや、薄っぺらい笑みを浮かべたソイツに眉をしかめた。
見ず知らずの男にナンパされて嬉しいタイプだけども、今回に限っては不快感しかないぐらいには――わたしは待宮栄吉という男のことを嫌悪していた。好感度は最悪だった。
でもそれは仕方がないと思う。
待宮栄吉は学校を越えた友人である寒埼ミキちゃんの胸を触り、ナンパし、我が箱根学園自転車部まで侮辱して挑発したのだから。
帰りのバスの時間の都合で荒北を探していたら、荒北がベンチに座って待宮とペプシを飲んでいた。
うわヤなやつ見かけたと思いながら荒北に言伝を済ませてさっさとどっかに行こうとした。そうしたら腕を捕まれ、冒頭の台詞だ。
「ごめん、さっぱり意味がわかんないんですが」
「じゃから言うたやろ、気に入ったって」
「荒北ァこの人どうしよう」
「気に入ったって言ってンだから付き合ってあげればいいんじゃナァイ」
うわこいつ完全に面白がってる。学年の違う同い年の親友はこういうとき心の底から役に立たない。
ため息をついて、ベンチに座っている待宮を見下ろした。掴まれた手首はがっちりホールドされていて振りほどけそうにない。レースのあとで汗ばんだ手がすこし気持ち悪かった。
気に入った……わたしを気に入った。その理由がわからない。レース直前のひと悶着の時、挑発やミキちゃんへのセクハラに耐え切れず食って掛かったけど、待宮とのやり取りと言えばそれだけだ。
「わたし、ミキちゃんの胸さわったのゆるしてないんで、わるいけど」
「それに関しては言い訳ができんのう。駆け引きのためとはいえ反省しとるんよこれでも」
「ちなみにソイツ、総北のマネジと主将にはさっき謝ってたぜ。福チャンにもなー」
「荒北黙って」
なんで待宮に助け船を出すんだ。わたしに出してくれ。
にこにこへらへら笑う待宮には、レース前に感じたイヤらしさはあまり感じなかった。だからといって好感が持てるかといえば別だ。
細い目の周囲が赤いのは、優勝できなかった悔しさによるものなのか。
泣くほど悔しいのに、直後に女の子をナンパなんてよくやるよ。
「ワシの地元は広島じゃからな、次会えるかどうかもわからんし急ぐのは当然じゃろ、エエ」
「その熱意、自転車に注いでくれよ」
「そうじゃのう、前だけ向いて走らなアカンからのう」
「さっそく雑念だらけじゃねーか、俺に負けて懲りてねぇのか」
「それとこれとは話が別じゃ! もう最後のインターハイも終ったしなぁ」
荒北のつっこみに牙をむいたあと、快活に笑う。さわやかだと感じた自分が悔しい。
顔は悪くないんだ、顔は。でも美形なら箱根学園にだってそろってるし、わたしは顔に惹かれるタイプじゃない。
手をひらひらさせてノーのサインを送る。
「悪いけどわたしケータイ持ってないんでメアド持ってないですー、悪いけどすごすご広島帰ってね」
「これは本当か荒北」
「ガラケーはもってないけどスマフォなら持ってるよォ、LINEのID送っとくねぇ」
「それは助かる」
「おいっなにやってんだ荒北! 個人情報の漏洩だぁ!!」
なにやってんだ荒北の『な』の段階で待宮のバッグからLINEの通知音がした。
荒北め、後で覚えてろよ。ていうかいつの間にLINE交換するぐらい仲良くなったんだこの二人は。
どっと脱力してその場に崩れそうになってしまう。
ずっと掴まれていた手首がいよいよ熱い。
「はぁー……悪いけどわたし連絡無精だし、LINE送ってきても無視するからね」
「安心してくれ、呉の闘犬は追いかける方が燃えるんじゃ」
待宮のにこやかな笑顔が恨めしい。背後で荒北が『せいぜいガンバレ~』と言わんばかりにへらへら手を振っていて、待宮よりも荒北さんにむかついていた。
***
「でェ、って結局アイツとはどうなったのォ」
「アイツってなに?」
制服に着替えてベンチに座りこむ荒北さんにドリンクを渡したらそう言われた。
居残り練習のあとだから、部室には雑務を片していたわたしと、ちらほら残っている三年生しかないない。
アイツって誰だ。えぇと……この前告白されたサッカー部の主将? あれは当然断った。だってよく知らない人だし。
「バァカちげェよ、ミヤだよミヤ」
「ミヤ? え、誰?」
「なんだなんだ、恋ばなか」
「とうとうにも春が来たのか?」
浮わついた気配を察知した新開さんと尽八がどやどやと会話に入り込む。
この人たち、こういう話にヤジを飛ばすのが好きなんだ。
「だーかーらー、待宮栄吉だよ、広島の」
「あぁ! 広島……ってあれか、呉の闘犬のスプリンターの!」
「そこまで覚えてて名前忘れてるって」
「あだなは知らないもの。で、待宮さんがどうしたの」
「いや、お前インターハイのあと告白されてただろ」
「告白!? おい、聞いてないぞ!」
幼馴染みの尽八がうるさい。同い年のくせにわたしの保護者ぶるのが好きなのだ。そこも良いところだと思うけれど、こういうときにはやかましいだけだな。
なんでよりにもよって、他にも部員がいるときにこの話を振ってくるかな荒北は。ヒュウ、と口笛を吹いた新開にちょっと困る。
荒北は告白と言ったけれど、あれは単なるナンパだ。荒北のせいでLINE交換の憂き目にあったけれど、一度は断ったし。
「LINE交換もしてただろォ」
「うん、よくLINE来る。あんまり返してないけど……」
尻すぼみになって消えていく言葉に合いの手を打つように、誰かのスマートフォンの通知音が鳴る。出所はわたしのバッグだ。
みんなの視線が制服越しにスマートフォンに集まって、わたしの顔に戻る。
「ヒュウ、ベストタイミング。出なくていいのか? 広島のやつからかもしれないぜ」
「新開、いくらなんでもこのタイミングはないでしょ」
「ならば出れるだろう」
「いや、まだ仕事終わってないし」
「もう着替えもおわってるくせになんの仕事が残ってンだよ」
いまこの場で確認しないと許してくれそうにない。無視してさっさと部室の扉を開けて帰ってもよかったけれど、それもそれで待宮を意識しているようで抵抗がある。
どちらにせよ、ニヤニヤ笑っている荒北の思うつぼなのだ。
ため息をついてスマートフォンを取り出した。どうせ女友達だろう。
そう思って起動させたスマートフォンには、待宮栄吉のアイコンがでかでかと表示されていた。
「マジかよ」
「うわっ、ほんとに噂をすればなんとやらではないか」
「へぇーどれどれ」
「うわっ、ちょっと、待っ」
背後からぬっと覗き込んできた新開さんと尽八を避けたら、どすんと背中が何かにぶつかった。
顔をあげると荒北の三白眼と目が合う。
距離の近さと肩に当たった胸板の暖かさにビックリして荒北とも距離をとろうとしたら、手がなにかに押さえつけられて動かない。スマートフォンを掴まれていた。ぶつかった拍子に、ちょうどいい具合にスマートフォンを差し出したような体勢になってしまったらしい。
わたしの手からスマートフォンが取り上げられる。
「無視してるって言ってるわりには結構話してンじゃん」
「ほとんど毎日はなしてないかこれ」
「ちょっちょっ! 中身見ないでよ!」
「見られて困る会話じゃないだろう。それとも見られて困る会話をしているのか!」
「いやしてないけどぉ……」
じゃあいいじゃないか、と新開のお気楽な声にがっくり肩を落とす。幼馴染みと親友が率先してわたしと待宮の関係に首を突っ込んでいるから、多少からかっても問題ないと新開は認識しているらしい。
そこは気を使ってほしかった。
「でも別に、君らが読んで楽しい内容じゃないよ。授業のわかんないとこ教えてもらったりとか、ほんとそれだけ」
「お前一年ダブってるくせに授業ついてけてないのかよォ」
うるせーなコイツ。
じと目で睨むと荒北は肩をすくめ、新開がすかさずパワーバーを差し出してきた。新開の、ご飯をあげれば無条件で怒りが収まると思ってるところはちょっと問題な気がする。受け取ったパワーバーを咀嚼しながら思う。
二回目の高校2年生をやるはめになったのは、単に交通事故にあって三ヶ月入院せざるを得なかったからだ。あまり気を使われるのも面倒だけど、こういうときに持ち出されると苛立つことこの上ない。同じ学年だったころは、荒北なんかよりよっぽど成績よかったのに。というか、いまだって荒北より頭いい自信ある。いまの荒北の順位知らないけど。
「あ、続けてLINE来たぞ」
「なになに、『今個人練習終わらせた、そっちはもう家か』だってよ」
「あぁ、この時間までが残ってるのは珍しいものなぁ。……生活サイクル把握されているではないか」
「わーっ! だ、だから見ないでよぉ!」
いままでの会話を見られるのはともかく、これからの会話を自分よりさきに見られるのは抵抗がある。
やましい会話をしてるとか、してないとかの問題じゃないのだ。
必死に手を伸ばしてスマートフォンを奪い取ろうとするものの、背の高い荒北が腕を持ち上げるともう太刀打ちできない。おまけにもう片方の手で頭を押さえられて突っぱねられると、胴体にすら手が届かなくなる。
ぐぬぬぬ。こういうとき女である身の上が恨めしい。かくなる上はと、鍛えてるわりに細い荒北の腕に飛びついた。
「うぉっ! よじ登んなってサルかよお前はァ!」
「そっちが返してくんないのが悪いんでしょ、ほら、返せ!」
「ちょっちょっと待て変なとこ触っちゃうカラァ……どわーっ」
腕をよじ登っていたわたしを支えようとした荒北がふらついてバランスを崩した。二人して床に倒れこむ。
下敷きになった荒北がクッションになったからそれほど衝撃はないものの、その分荒北はしこたま腰を打ち付けたことだろう。
床に倒れる寸前、かばうように引き寄せてくれたやさしさが憎い。
これは荒北が悪いんだと責めたくなる気持ちがよぎったのはほんの一瞬で、自転車に影響がでたらどうしようと血の気が引いた。
「ごめんっ荒北! 大丈夫!?」
「いたたた……お前重過ぎンだよ。早くどけって……うっと、あれ、お前のケータイ」
「こっちに飛んだぞ。……って、これ、電話かかってないか?」
「え、まじ!?」
床に転がったスマートフォンを拾った新開が画面を確認して、うんとつぶやく。
耳を澄ませば、わたしのスマートフォンからLINE通話の発信音が流れている。もみ合った拍子に、荒北が通話ボタンをタップしてしまったらしい。
「い、いまたぶん自転車乗って帰ってる時だよ、早く切って切って」
「お、おう。――っと」
「もしもしィ~どしたんじゃあ~」
「うわっ!! と、東堂っ」
「お、オレか!?」
切るより前につながってしまった電話に、スマートフォンを持っていた新開が動転する。
わたしがスマートフォンから流れた声に違和感を覚えるより先に、新開からスマートフォンを押し付けられた尽八がうろたえつつもスマートフォンを耳に押しつけた。
次の瞬間吠えた。
「おい、お前かオレのに粉かけてる不届きものは!!」
「は? な、なんじゃ、誰じゃ!?」
「誰がてめーのだっつった尽八ィイーッ!!」
「何言ってるはオレの幼馴染だろ……うおっ」
「あーもうラチあかねぇなカセ! あー、もしもしミヤァ?」
尽八からスマートフォンをひったくった荒北が待宮のあだ名を呼んだ。所有権を無視されあっちこっちに移動を繰り返すスマートフォンを追いかけながら、わたしは固唾をのんで見守るしかない。
めんどくさがりでやる気なさげな荒北だけど、ひとたび場の収集に乗り出してくれた時は真面目に収集をつけてくれるのだ。
「ありゃ、もしかしてお前、箱学の荒北か。ちゃんと話せると思ったんじゃが」
「そうそう。いま手違いでのケータイから電話しちゃったンダヨネ。お前、ええと井尾谷だっけ、ミヤは?」
「どの口が手違いとか言うんだ……あでっ」
「おー、席外しとるけどすぐ来るぞ……うおっ! 親友のかわいいいたずらじゃろ、そんな怒らんでもええやろミヤ!!」
スマートフォン越しに聞こえるどたばたとした物音と、なにやっとんじゃという怒鳴り声。
向こうサンも俺たちとオンナジことしてたみたいだねェ、と他人事のように笑う荒北にため息が出る。
しばし物音が続いたかと思うと、ややあってまたスマートフォンから声がした。今度は待宮の声だ。
「もしもし、ちゃんかぁ。遅くなって悪いのう、井尾谷のやつが勝手に出とったみたいで混乱させたじゃろ」
「いや、オレ。荒北だけど」
「おお荒北か。どうしたんじゃ、この着信ちゃんからじゃないのか」
「やーちょっと手違いでかけちまってよォ。まあ目の前にいっから代わるわ。ほい」
「えっ、い、いきなり!?」
突然スマートフォンが手元に戻ってきてうろたえる。あわあわしているとミヤが待ってんだろォとせかされて、慌てて耳に受話器を押し当てた。
新開や尽八らの視線がわたしにあつまるのがわかる。固唾をのんで見守られている。
なぜだか緊張が押し寄せてきて、手に汗がにじむ。今の笑顔はよほど出来が悪いのか、床に座り込んだ荒北が口を押えて吹き出すのが見えた。
どんだけ変な顔で笑っているんだろう。対面でないからいいけれど。待宮に笑われなければ、なんでもいいや。
「うも、もしもし」
「うも、って」
「おお、今度こそじゃな」
わたしのひっくり返った声に吹き出した新開を睨んだ直後、耳に入り込んできた声に戦意が喪失する。
電話の音質は以前よりもずっとよくなったけれど、やっぱり電波変換されたものには変わりない。音質の荒さがもどかしくてスマートフォンを持ち直した。
「なんかごめんね。もしかして自転車こいでた?」
「いや、実はケータイを部室に忘れてのう。とりに戻ったら井尾谷がワシのケータイで電話しとるじゃろ。びっくりしたわ。ほんで、どうかしたか?」
「それが特に用事があったわけじゃなくて……。荒北たちが面白がっていたずらで待宮さんに電話しちゃったんだ。ごめんね、ほんと」
「なんじゃ、ワシが恋しくなったわけじゃないんか。期待したのにショックじゃ」
「んなっ……な、な、な」
呻く言葉が自然と口からもれでて、それ以上言葉にならない。
新開が隣の尽八に『すげー直球』とつぶやいているのが聞こえて、頬が熱くなった。
「どっどーせ他の子にも言ってんだそういうの」
「ワシがそこまでひまに見えるんか、夜にLINEする女なんかおまえ以外におらんて。もうそろそろ引退とはいえ部活のこともあるしな。エエ、ちゃん」
「ぺらぺら舌がまわる闘犬だなあ、しっぽ振りすぎなんじゃない」
「電話越しでも照れてるのまるわかりじゃよ~」
「照れてない!!」
「いや照れてる」
荒北、新開、尽八の合唱に盛大に舌打ち。待宮に聞こえてなけりゃいいけど、と思った瞬間受話器越しにぷっと吹き出す声が聞こえた。
絶対待宮に聞こえてる。
「……とにかく、いきなり電話してごめんね! そういうことで、ほなサイナラ」
「おお、声聞けてよかったよ。じゃあまた明日LINEでなぁ」
「うん、また明日。……ふう」
「また明日、か……」
「な、なに」
通話を切って溜息をついていると、尽八が難しい顔して腕を組む。新開も眉をしかめてなにか考え込んでいる。
な、なんか変なこと言ったかわたしは。思わず身構える。
「これで付き合ってないのか、」
「うん、そだよ……どこまで本気かわかんないんだもん、待宮の言うことって」
「う~ん」
「まあマメに連絡してるのは確かみたいじゃん、アイツもひまだねェ」
新開や尽八が真面目に考えるそぶりをするから、わたしもつい真面目に考えてしまう。
待宮は頻繁に連絡をくれるけど、どういう理由なんだろう。なんとなーく、あの手の軽薄そうなタイプは女の子を泣かす男の匂いがして警戒する。ミキちゃんへの態度を見ているから、よけいに疑ってしまう。
Lineのやり取りを続けるうちすこしは打ち解けてきたけど、友達としてはともかく恋愛面での信頼はまだできなかった。
そこまで考えて、視線がわたしに集中していることに気づく。
……にやけやがって、こいつら!
「人の恋愛に口出すひまあったら、その分ペダル回しなね! わたしが色恋に興味ないのしってるくせに!」
「だからこそだよなあ、尽八」
「そうだな」
「オレは暇つぶしにちょうどいいからちょっかいかけてるダケだよォ」
部室の扉を閉める寸前荒北の間抜けな声が聞こえた。聞き捨てならないセリフだったけれど、また部室のなかに入っていくのもバカらしくて聞こえなかったふりをする。
太陽が沈んでまっくらな街の上で、大きな月だけが光輝いている。
もう、そろそろ冬に差し掛かるころだ。風が吹き抜けると道路脇に落ちた枯れ葉が揺れてかさかさと乾いた音を立てる。
寒さのきつい真冬はだれかのぬくもりがほしくなる。でもそれは、女友達と手をつなぎながら笑って帰れば解消できる欲求だ。
だから、いまもむかしもこれからも、恋人なんていらないのだ。相手が軽薄そうな待宮ならなおさらね。
……待宮と話すのは嫌いじゃないけど。でもやっぱまだ信用でーきないっ。
明日荒北を小突くことを心に決めながら、寒さに対抗したくなって坂を全力で駆け上った。
2015/06/30:久遠晶