人の恋路は落語より笑える



 面白いものもあったもんじゃなあと思ってから、井尾谷は「やっぱり面白くない」と思い直した。
 よく手入れされて黒光りするローファーに黒いタイツがどこまでも伸び、かと思えば膝小僧を拝む前にスカートで途切れて隠される。すらりとした細い体はブレザーに包まれ、首の前で丁寧に結わえられた赤いリボンが整然とした印象を与えている。男であれば誰もが制服の下を夢想する身体だが、全体の印象としては体形よりもまず顔が先に来る。アーモンド型のキリリとした瞳の輝きが強すぎて、顔に見とれて身体に目が行かないのだ。
 流し目で見られれば背筋がぞくりとするような美人だ。
 井尾谷は思わず背筋を伸ばしてかっこつけたが、井尾谷が彼女の視界に入っていないことは明白だった。
 彼女は絹糸のような髪を揺らして身体をもじつかせ、井尾谷の隣にいる待宮を見ていたのだから。

「ま、待宮くんが好きです。付き合ってください!」

 風鈴が鳴るような涼しげな声が震えてる。白い肌は赤く染まり、目元がみるみるうちに潤む。どうか拒まないでと訴えかけるような瞳に、井尾谷は自分に言われたわけでもないのに思わず「喜んで」と言いかけた。
 しかし当の待宮は、彼女から気まずげに視線を外す。ばつが悪そうに後頭部を掻きながら、
「あー…その、すまん」
 悲しきかな、少女の決死の告白は三文字ではねのけられて地に落ちた。
 井尾谷はもったないと憤るより先に「ミヤにしては珍しくまともにフッとる」と驚いた。女の子を振るときの待宮はいつも容赦がないから、申し訳なさそうに唇を引き結ぶ待宮は新鮮だ。ある意味面白い見せ物だった。相が極上の美人でなければ。
 やっぱり面白くない。そして、もったいない。


***


「もったいない。ホンにもったいない。もったいない」
「さっきからうるさい井尾谷。どんだけ言えば気が済むんんじゃ」

 下校途中に肉屋でコロッケを注文しながら、井尾谷がふてくされたように言う。待宮がうんざりしながら眉をしかめる。

「あんな美人を、もったいない。喰うてやればよかったじゃろ。一回こっきりでもよさそうな顔しとったぞ」
「ばあか」

 わかってないな、と待宮は肉屋のディスプレイに身体を預けながら片手をあげた。
 レジの奥、厨房でコロッケを揚げる音がぱちぱちと聞こえる。一枚30円のコロッケは薄いが肉汁が濃厚で、学生の人気のおやつだった。

「ありゃお嬢様高校の制服じゃぞ、へたに喰ったらあとが怖いわ」
「相変わらず考えがエグいのう」

 井尾谷がククッと笑う。待宮は平静を装ってはいるが、店内をぼんやりと見渡す様子は明らかに未練たらたらと言ったふうだ。自分本意の言葉は、つまりは自分にそう言い聞かせているのだろう。
 知り合ってから長いが、こんな待宮ははじめてだ。
 最後のインターハイが終わり、引退して間もない。そろそろ、受験勉強の憩いがほしくなる季節だ。井尾谷と待宮は受験勉強のストレスを自転車の自主練習で晴らしてきたが、もっと別のやり方もあるのかもしれない。少なくとも井尾谷には。
 目の前の親友はストレス解消の最高の逸材だ。
 井尾谷はこれ見よがしに笑い、待宮を見やる。

「あの子、純粋培養って感じの子じゃったな~。ミヤが手ぇ出さんのなら、ワシが喰っちゃるか」
「なに言っとんのじゃ、ボディーガードにシバかれるぞ」

 慌てる待宮は自分がどれだけ面白い顔をしているのか気づいていない。お嬢様に手を出すのが怖いだけなら、いつも通りにバッサリ切ることだってできたはずだ。
 だがそうしなかった。
 へたをすると、待宮自身も気づいていないのかもしれない。
 自身の、朱に染まる横顔に。

「まず家柄が問題じゃの~健全な付き合いになっちまうだろうしな。けどまあ、あんな美人なら逆にいくらでも一途に待てるわな」
「お前本気であのコに惚れとんのか」

 勘違いして大真面目な顔で驚く待宮に、耐え切れずに井尾谷が吹き出した。
 これは、やはり井尾谷の人脈を総動員して彼女の連絡先をゲットしなければならない。確か佳奈の友人が同じ高校だったはずだ。そこをツテにたどっていけばわかるだろうか。佳奈は最近サッカー部に彼氏ができて機嫌がいいから、快く協力してくれるだろう――こういう話は佳奈の大好物だ。元彼の浮ついた話を心から祝福してくれるに違いない。それが待宮には有難迷惑だったとしても、親友は首を突っ込まずにはいられないものなのだ。
 頭のなかでシュミレートしながら、目の前でハラハラしている待宮に笑いかける。
 きっと自分はひどく晴れやかな顔をしているだろうなと井尾谷は思い、事実その通りだった。

「別にミヤの女に手出さんて。ま~向こうから誘われたら別じゃけどな~」
「さっき断ったの見てたじゃろ、女じゃないわ」
「そう! じゃからワシがコナかけるのも別に悪くないじゃろ」
「……お前面白がっとるな」
「もちろん」

 アホ、といいながら待宮が井尾谷のスネをつま先で蹴り、揚げたてのコロッケをおばちゃんからかすめ取った。

「あーっワシのコロッケ!!」
「30円コロッケぶんどられたぐらいで怒る男がお嬢サマと釣り合うわけないじゃろ! ばあか!」
「はあ!? 30円コロッケぶんどる浅ましい野郎に言われたないわ! シバくぞ! このバカミヤ!」
「ああっ!? なんか言ったかイビリ谷ィ!!」
「……お兄さんおつり~……」

 おつりを渡す間もなく、喧嘩しながら走っていく井尾谷と待宮に、肉屋のおばちゃんが呆れたように苦笑した。

「インハイ負けて落ち込んでるかと思えば、ようやるねえ。まあ元気なことはいいことだ」
「相変わらずだね坊主どもは」

 見守られていることにも気づかず、井尾谷と待宮は喧嘩しながら笑っていた。





2015/10/06:久遠晶