体当たりで行こう!
「お姉ちゃん、おしごとみつかったの?」
「み、見つかってません」
一回り以上年の離れた義弟を相手に小さくなる私の、なんと情けないことか。
おしごと、みつかってません。はい……。
これはあまりに絶望的な一文だ。私は頭を掻いてえへへと笑ってごまかした。まったくごまかせていないけれど。
どうにも前職の給料や仕事内容と比べてしまうのが敗因だろう。バーテンダーの職は薄給とは言え、お客さんに気に入られればチップの量も増える。上層のバーにくるお客さんは羽振りがいい、というのも大きかった。
蓄えはあるので今のところは問題ないけれど、このままではただ飯ぐらいになってしまう。今日も孤児院で出されるごはんは美味しいけど、食べる度に罪悪感は抱きたくない。
スープを飲みながらうんうん唸る。
「えり好みせずに下層の酒場受けるべきかなぁ~下層は基礎賃金が低いからなあ~」
「今は孤児院に引っ越したんだし、多少給料が減ってもよくないか? レストランで人を募集してたぜ」
「あそこ、お昼の仕事でしょう? 夜の仕事がいいんです。この前受けた上層のバーに受かればいいんですけど、手ごたえがなくて……」
「昼の仕事でもいいだろ。いや、そっちのほうがいいさ」
ハンフリーさんが自分で言いながら、うん、と頷いた。
弟妹たちが「でも……」と口を出す。
「でもお姉ちゃんってすごく朝弱いよ。お昼の仕事、寝坊して首にならないかな?」
「夜早く寝ればいいだけだろ。早起きなんて簡単だ」
「夜型人間なんですよ。そういう体質。お昼の仕事なんてできませんって」
「確かにが早起きしてるとこ、想像つかないベロン」
うなずくベロリンマンさんの背中に、子供がしがみついてよじのぼっている。
当初まものとおびえられていたとは信じがたいほど、ベロリンマンさんはすっかり孤児院になじんだなぁ。まるで昔からずっといたような自然体さだ。
ハンフリーさんはと言うと、私の言葉に納得していないらしい。ううん、と唸っている。
「でも夜の仕事って危ないだろ。カジノが出来てからすこし治安が悪くなったし……もし仕事の行き帰りに襲われでもしたら」
「ハンフリーさんてば心配性だな~」
「俺は真面目に言ってるんだ」
茶化して笑うと、むっとした声が返ってきた。眉をはねあげてハンフリーさんは怒ってみせるけれど、元が柔和な表情をしているから迫力はない。かわいい、とすら思ってしまう。
ハンフリーさんはとてもかっこいい人なのに、表情やしぐさがちょっとかわいいときがあるからたまらない。にこにこしてしまう。
でもあんまり笑うと余計に怒らせるだろう。それはいやなので、私は適当に相槌を打って立ち上がる。
「そうだね、昼の仕事も検討してみる。ごちそうさま! それじゃ私は二度寝するので~」
「おい、。まだ話は」
「あーあー聞こえな~い」
耳をふさいでハンフリーさんの声を掻き消しながら、ベッドのある大部屋へと歩いていく。
背後からため息が聞こえる。呆れさせたかと思うと自分自身が情けないけれど、こればっかりは仕方ない。
ハンフリーさんもわかってくれてるから、そこまで強くは言わないでくれているのだ。
「──の不眠症、やっぱり治ってなかったのか……」
胸がずっしり重くなる。やっぱり気遣わせてたのか。
でも、これでも結構改善したほうだ。
絶賛無職の私は日中孤児院の家事や子供の相手をしてへろへろになるし、そうなると疲れて眠りに落ちやすくなる。
子供たちは甘えて私と寝たがるから、一人寝の寂しさを感じることも少なくなった。
でも、日中働きに出れるほどではない。それはまだ難しい。
日中の仕事に就いたら、真夜中は本当に眠る時間になってしまう。
それがこわい。夜寝たら、いやな夢を見てしまいそうだ。
大部屋に戻って、ベッドに寝っ転がって毛布にくるまった。
ぎゅっと目をつむる。
何事もなく眠りに落ち、目覚めることを祈りながら。
***
子供のころ両親が死んだ。
夜中、外から聞こえる唸り声に目を覚ました私と両親。二人の真ん中にいた私は二人の手を掴んで、「怖いから行かないで」と言った。
両親は「畑を荒らされてるかもしれない」と言って、私の手を優しく外した。
「すぐに戻るから」
優しい両親が初めてついた嘘だった。
いつまで経っても両親が戻ってこない。私は不安になって見に行こうかと思ったのに、怖くて足がすくんだ。
唸り声がなんなのかを確認したくなかった。優しい眠りのなかに居たかった。
毛布にくるまって必死に寝たふりをし続ける小さな少女を、冷静に見つめる今の私がいる。
これは夢だ。何回も見て、慣れ切っている。わかっているのに恐ろしい。
泣きわめいてでも二人の手を離さなければよかった。そうすれば両親は死なずに済んだ。畑がぐちゃぐちゃに荒らされても、両親が生きていれば何もいらない。
「おねがいだからどこにもいかないで――」
手を伸ばしても、掴めるものはなにもない。
掴んだものはすべてすりぬけて、笑って消えていく。
畑の様子を見に行った両親。病気で死んでしまった義理の父。
たぶん、そういう星のもとに生まれたんだと思う。
だから私は、大切なものを作るべきではないのだ。
「そりゃ、どこにもいかないけど」
伸ばした手のひらを、不意に暖かいものが掴んだ。
分厚くて大きくて暖かい、誰かの手のひら。その手に引き起こされるように、私の意識は現実へと戻った。
目を開けるとハンフリーさんの顔があったので、ある意味ベロリンマンに起こされるとき以上に驚いてしまった。
反射的に身体が身構える。
「大丈夫か? うなされてたけど……」
「あ、ああ……。だ、だいじょうぶ」
ぎこちなく起き上がって、目元を拭う。眠りながら泣いていたらしい。情けない。
ハンフリーさんは私の背中をぽんぽんと撫でる。
「いやな夢見たんだな。でも夢だから大丈夫だぜ」
子供の時そうしてくれたように、ハンフリーさんが優しくあやしてくれる。
私の肩を引き寄せて優しく抱きしめる。恐怖で凍えた身体に、ハンフリーさんの温度が染みる。暖かい両腕に包まれると、このまましなだれかかってしまいたくなる。
でもそれはできない。そんなことはしちゃいけない。
「大丈夫、心配かけてごめんね。大丈夫だよ」
ハンフリーさんの胸板を押して、優しく引きはがす。眉をひそめて心配そうな顔をするハンフリーさんに申し訳なくなる。
自分で引きはがしたくせに名残惜しくて、ハンフリーさんの手を掴んだ。持ち上げて頬に摺り寄せる。大きな手のひらで自分の耳をふさぐと、ごうっという血液の流れる音が聞こえてくる。
……うん、生きてる。
そのことに安堵する。ほっと息をついた。
時計を見れば時刻はお昼前だ。二度寝のあと、いい加減にちゃんと起きろと起こしにきてくれたようだ。
「情けない話だけど、未だに両親のことを夢に見るの。いやだなぁ」
「うん……」
ハンフリーさんが頭を撫でる。びくついた心が落ち着いていくのを感じる。
こうしていると、はじめて孤児院に連れてこられてからハンフリーさんとの関係がまったく変わっていないなと思う。
いつだって私はあやしてもらう側で、寄り掛かる側だ。それはいやだ。
この人に寄り掛かりたくない。孤児院のことをなんでも抱え込んで、受け入れようとするハンフリーさんに甘んじてしまいたくはない。
私はハンフリーさんの手を離す。自分の両頬をぱんっと叩いた。片頬だけほんのり暖かい。
「起こしにきてくれてありがとうございます、ハンフリーさん! 寝すぎてお腹空いちゃいました。お昼はなんです?」
「、あんま無理するなよ」
ベッドから降りようとした私を、ハンフリーさんが押しとどめる。
手を掴まれ、手のひらに包まれた。指先を温めるようにハンフリーさんは触れる。ごつごつした格闘家の手。
「ひとり暮らしだったときはともかく、いまはオレたちがいるんだからさ」
「……うん。ありがとうございます、ハンフリーさん」
「、」
「でもほんと大丈夫……私が寝ながら泣いてたってこと、みんなには内緒ですよ」
ハンフリーさんの手から逃げ出して、再び立ち上がる。もう一度止められる前に大股に歩いて部屋を出る。
手に触れられるのは苦手だ。せっかく掴んだのに、すり抜けて消えてしまうんじゃないか、という感覚がぬぐえない。
リビングに行くと、子供たちが席に座って私を待っていた。
「おねえちゃん、おそい! ごはんさめちゃうよー!」
「ごめんごめん! ベッドが気持ちよくってさ~」
「、なかなか起きないんだもんなぁ」
後ろからやってきたハンフリーさんが、私に合わせて笑ってくれる。そのことにすこしだけ安心する。
こどもたちには心配させたくないから。
***
私が孤児院を出てグロッタの街に繰り出したのは、太陽が落ちて月が空に浮かんだ頃合いだ。
空に浮かぶものが大樹から魔王の城にとって変わっても、しがない小市民のやることは変わらない。すなわち労働。私の場合は就職先の確保である。
下層の酒場に面接に行って、お酒を飲んで、その帰り。
「おねーさん、いまひとり?」
ナンパされた。
目の前の男は軽薄そうな笑みを浮かべている。
「これから家に帰るところなんです。申し訳ないけど」
「そんなこと言わずに一緒に飲もうよ! ね!」
隣をすり抜けようとすると、片手を突き出して止められる。壁際に追い詰められる形になり、私は愛想笑いを浮かべることしかできない。
男は有無を言わせない。私の肩を掴んで、ぐいぐい引っ張っていこうとする。
こういうのって困るなあ。面倒くさい。なにが面倒って、こういう手合は邪険にしたり毅然として断ると急に怒り出すところだ。
でも行き先は酒場みたいだし、まあいいだろう。
酒は強いほうだ。酔わない飲み方を知っている。人の財布でお酒を飲んで、酔いつぶしておさらばすればいいだろう。
そう簡単に女をお持ち帰りできると思うなよ。
ため息を飲み込んで、腰を抱き寄せられるまま男に合わせて歩きはじめる。
すると、ぐい、と肩を掴まれて引きはがされた。
後ろに肩を引かれる。後頭部になにかが当たる。
「先約があるんだ。悪いな」
「げっ、あ、あんたはハンフリー……」
へらへら笑っていた男が、さっと青ざめる。ハンフリーさんの顔は私の真上にあるから、私にはどんな表情をしているのかはわからない。
ハンフリーさんは有名な人だ。まものの手先だった一件が明るみになっても一目置かれているから、たぶん知名度のほうで驚かれたのだろう。
「行くぞ、」
力強い手が、強引に私を引っ張っていく。肩を掴んでいた手は腕をすべり、私の手首を掴んだ。
強く握りこまれて引っ張られる。ハンフリーさんが大股にずんずん歩いていくものだから、私はわたわたと足をもつれさせながらついていくことしかできない。
「は、ハンフリーさんっ、手、痛いですって!」
ハンフリーさんは無言だ。私に応えない。
大通りをずんずん歩いて、孤児院への道を歩く。角を曲がって人気が途絶えたところでハンフリーさんが突然足を止める。思わず背中に鼻先をぶつけてしまう。
「ふぎゅっ」
「あのさ、やっぱり夜の仕事はやめようぜ。危なっかしくて見てられない。危険だ」
衝撃で変な呻きを出す私を無視しして、深刻な声で言う。
私は痛む鼻をさすりながら、こちらを振り返るハンフリーさんを見やる。
「べつに、あれぐらいどうとでもなりましたよ。お酒強いんで、私」
「そういうことを言ってるんじゃない! もしお前になにかあったら、オレは……」
「子ども扱いしないでほしいなあ、ああいう人、いままで何人もいましたよ。あしらい方も逃げ方もわかってるつもりです」
「今まで何回もあったのか!? 今のが!?」
あっやばい火に油注いだ。
ハンフリーさんが眉根を寄せ、ぎゅっと厳しい表情になる。いつも笑ってるハンフリーさんだから、表情の変化がなおさら怖い。
そんなに頼りないと思われてるんだろうか。さすがに心外だ。むっとしてしまう。
「……やっぱりバーテンダーはだめだ。心配だったんだ、お前が昔孤児院を出て行ったあの時も……」
「だ~か~ら~、あしらい方もわかってますって、ハンフリーさんが心配するようなことなにもありませんよ!」
「そうじゃない!」
肩を押されて、よろめいて背中がどこかの家の壁に当たった。頬を掴まれる。
一瞬顔をしかめた瞬間、ハンフリーさんが迫ってくる。
くちびるに柔らかいものが触れた。
湿り気をおびた熱。
時間にして二秒ほど私のくちびるに触れたソレはわずかに離れて、でもすぐそばにある。触ってないけど、ほんのり熱を感じる至近距離。
目の前にハンフリーさんがいる。私の頬から後頭部に指を滑らせて、壁際に追い詰めている。
「心配もしてるし、怒ってもいるけど……それ以上に嫉妬してる」
「そ、それは……」
「ほかの男に腰なんか抱かれて、へらへらしてるなよ」
ハンフリーさんは笑わない。まっすぐな目で私を見ている。至近距離だから、細い切れ目の奥の瞳がよく見える。
夜空の星々みたいな瞳が、私の目の前にあって、すぐそばで、熱っぽくて、顔が赤くて、それで、それで……!
心臓が早鐘みたいに忙しなく動き出す。夜の寒さなどなにもない。末端まで熱い。それ以上に髪を撫でるハンフリーさんの手と、くちびるに感じる吐息が熱い。
待って、やめて。
──言わないで。それを言われたら、私。
「お前が好きなんだ」
髪の毛がぶわりと逆立って、全身の細胞が花開いて歌うようだった。
のどが震えて言葉にならない。お腹の底からあふれてくる感情の制御がつかず、身体がいっさいがっさい動かない。
頬を撫でるハンフリーさんの手が、ぎゅっ、と握りこまれる。眉を寄せて切なげな表情をするハンフリーさんに、胸がきゅうっとなる。
だめ。やめて。そんな顔しないで。我慢できなくなってしまう。
今すぐハンフリーさんの胸に抱き付いて、頬を寄せてくたりとしなだれかかりたくなってしまう。
猫のように子供っぽく甘えたくなってしまう。
ハンフリーさんを独占したくなる。ハンフリーさんの一番になりたくなる。ハンフリーさんの一番大切なものにしてほしい気持ちが、抑えられなくなる。
孤児院をなにより大事にするハンフリーさんが大好きなのに、孤児院なんてどうでもいいから私と居てよと叫びたくなる。
それは違うのに。
こんなことを考える時点で、私は孤児院のみんなと『家族』じゃないんだろう。共同体のひとつになれても、真の家族にはなれないのかもしれない。
際限なく落ち込みそうになったとき、ハンフリーさんが再び口を開いた。
「オレのそばにいてくれよ……」
それは──それは。
「は、ハンフリーさんは……」
舌がもつれて、声が震えた。
「ほ、ほんとに私で──」
「あっ! ハンフリーさんだっ!!」
「遅いから迎えにきたよーっ!」
子供たちの声が聞こえ、反射的にハンフリーさんが私の前から飛びのいた。
角を曲がって子供たちがやってくる。
奥にはベロリンマンさんもいる。私とハンフリーさんを見つけると手をあげた。
「ベロンベロ~ン! 遅いベロン! 心配したベロン~!」
「あっはっははは……すまんすまん、が立ち眩みしちゃってさ。しばらく休んでたんだ……な?」
「そうそう……あははは」
ハンフリーさんの言葉に曖昧に笑う。
いま、顔が真っ赤の自信がある。子供たちが心配そうに私を見上げた。
「お姉ちゃん大丈夫?」
「ハンフリーさんにおんぶしてもらう?」
「いやいや、そこまでは大丈夫だよ~」
頬がちりちりとかゆいぐらいに熱を持っているけども、そこそこ普通の応対が出来ていると思う。
子供たちとベロリンマンさんと一緒に、孤児院までの道を歩く。
「……いきなり、すまん」
ハンフリーさんがぼそりと言った。
きまずそうに謝るくせに、私の手をぎこちなく取って、しっかりと握りこむ。
その手があんまり暖かいから、どうすればいいのかわからなくなる。
握り返していいのか、悪いのか。
考えるだけ無駄な話だ。ハンフリーさんは私の手を握ってくれた。
お前が好きだ、と言ってくれた。
だったら……クサクサしているわけにはいかないはずだ。
***
孤児院への石段を上がり、ベロリンマンさんや子供たちが孤児院の扉をくぐって中に入っていく。
最後に私たちが入るところで、ハンフリーさんが指の力を緩めた。
手を離そうとするハンフリーさんの手を掴んで、足を止めて引き止める。
「ハンフリーさん」
正直、目が血走っていない自信がない。緊張のぎらついたような目になっていそうだ。
一度口を開いて、閉じて、いったんくちびるを濡らして深呼吸。
気分を落ち着かせて、それから意を決して言う。
「……今夜、あなたの部屋に行きます。鍵を開けて、待っててくれますか」
「へっ……」
ハンフリーさんが間抜けな息を吐き出した。
答えを聞けるほど、度胸があるわけでも落ち着いてるわけでもない。
ハンフリーさんの手をほどいて、隣をすりぬけて孤児院に入る。
夕飯は外で食べてきたのをいいことに、私はさっさと大部屋の寝室へと逃げ込んだ。
──あぁ、やばい、言ってしまった。
扉に背中を預けて、ずるずるともたれこむ。
恥ずかしさと緊張で手が震える。すでに半泣きだ。
顔が熱い。くちびるにまだ感触が残ってる。
とんでもないこと言っちゃった。
向こうから来てくれるならまだしも、私から行きます、と言ってしまった。どうしよう。しかも今夜って言っちゃった。せめて一週間後にしておけばよかった。行って鍵がかかってたら死んでしまう。
はしたないって思われただろうか。でも、これしか言葉が思いつかなかったんだ。緊張のせいだ。いきなりキスして来たハンフリーさんのせいだ。
と、とりあえず、お風呂入って歯を磨かないと……。
でも今は腰が抜けて立てない。
大きく息を吐き出して、どうにか落ち着こうと試みた。
心臓は早鐘のようにどこどこ鳴っていて、破裂しそうだ。
不意に両親を思いだした。私の手からすり抜けた父と母のことを思うと心臓がざわつく。すると、さっきとは違う意味で心臓が暴れて、きしんで、ちぎれそうに痛む。
私は首を振って、手のひらを握りこんだ。
まだ指に残っているハンフリーさんのぬくもりに意識を集中させると、心が魔法みたいに落ち着いた。
――お前、昔っから頭でっかちなんだよ。たまにはなにも考えずに動いてみろよ。
ハンフリーさんの次に年長のお兄ちゃんはそう言った。お兄ちゃんはぐうの音も出ないほど正しい。
幻滅されるのが怖い。大切なものがすり抜けるのが怖い。
そうやって喪失に怯えて、自分から離れるのはもうやめる――孤児院に戻ってくるときに、そう決めた。
大丈夫。ハンフリーさんは居なくならない。
子供たちに言い聞かせたように、私自身に言い聞かせる。
一歩を踏み出して一からまたはじめるために、私は孤児院に戻ってきた。
ハンフリーさんが私を好きだって言ってくれるなら、ちゃんと逃げずに向き合いたい。
だから、まあ、まずは……勝負下着の選別かな……。
私の決意とは裏腹に、突然の事態に胃がキリキリしくしく痛む。
……やっぱり一週間後にしておけばよかった。
心の準備なんてできようはずがない。肩を落としてため息を吐いて及び腰になる私は、今も昔も立派な臆病者だった。
――でも、前に立ち向かう臆病者だ。そのはずだ。そういうことにしておきたい。
願わくば、ハンフリーさんががっかりしないようにふるまえますように。
2017/10/01:久遠晶
もしいいね!と思っていただけましたら送っていただけると励みになります!