真面目な形兆
逆立てた髪の毛はまっきんきん。眉間にはいった縦筋のシワと引き結ばれた唇はいかにも不機嫌そうで他者を寄せ付けない。極めつけはあまりに改造された制服だった。360℃、どこからどう見ても『気安く俺に近づくな』という言外の警告が聞こえてくる出で立ちだった。曲がり角の路地に待機していた私は、彼が道を通りすぎる瞬間に声をかけようとした。
道を歩く彼に立ちふさがって、私は必死に台本を読み上げる。
――あの、虹村くん。
――私のこと知ってるかな。同じクラスの夢宮です。今日は、きみにプリント渡したくて……。
頭のなかで、虹村くんは不機嫌そうに私を見下ろした。だけど実際はそうはならなかった。
私の足は地面に繋ぎ止められて、彼の前に躍り出ることすらできなかったからだ。
しゃんと背筋をのばした彼は、路地にいる私に気づくことなく道を直進していく。気配を殺した私は、息を止めてその足音を聞くことしかできなかった。
「……また、声かけらんなかった」
これじゃ、告白できない女の子みたいだ。あるいは、最近よく聞く『ストーカー』というやつだろうか。
べつにそんなんじゃない。単に放っておけないだけだ。
虹村くんは入学式も含めて一度も学校に来ていないから。
教室で会ったこともない。街ですれ違っても、クラスメイトのだれ一人として、あの不良くんが『不登校の虹村形兆くん』だとわからないだろう。会ったことがないのだから当然だ。
私も、虹村くんは身体の病気か引きこもりかと思っていた。
一年のクラスにいるという弟くんも学校に来ていないようだったから、兄弟で病弱なのだと勝手に納得していた。
担任に押し付けられたプリントを虹村くんの家に持っていったけれど、失礼だけど到底人が住めるような家ではなかった。こんな家に住んでいればそりゃあ病気にもなるだろうと、思っていた。
そうではないと理解したのは五月の半ばぐらいだった。
名前だけは知っていた弟くんの名前をよく聞くようになり、弟くんの外見を知った。弟くんはモテモテで有名な東方くんと仲がいいらしく、その流れで繋がりのない私にも噂が流れてきたのだ。
でも虹村くんは相変わらず学校に来なかった。
ある日放課後街を歩いていると弟くんがいかつい不良と話していて、その時の会話で、私は虹村くんの姿を知った。
病気で学校にこれないのではなく、行く気がないから学校にこないのだと知った。
病気でなかったのは単純に喜ばしいことだ。
「形兆の兄貴はなんで学校来ねぇんだよ」
「学校で親父の殺しかた教えてくれんなら行くけどな」
低く唸るような声音。はじめて聞いた言葉はあまりに物騒で、私は話したことのないクラスメイトの家庭環境について邪推してしまった。
「制服着てる方がなにかと便利だからそうしてるだけだ」
「う~ん」
「お前はバカなんだからまともに学校行けよ」
そんなふうに兄弟で色々話していた。レッドホット…なんちゃらとか、バッド・カンパニーとか、洋楽のことを話していたように思う。だけど盗み聞きになると思って、聞かないようにしたから詳細はわからない。
わからないことばかりだ。
虹村くんのことは。
六月になるのに、三ヶ月間一度も学校に来ていない。担任の先生も諦めているのか、深入りしたくないのか、虹村くんのことには触れない。
私はただ、毎日のプリントを古びたポストに投函するだけだ。
顔を知っているから、虹村くんに直接話しかけて渡したい。ついでに、よかったら学校来なよ、と、言いたかった。
不良に関わってもろくなことないな、怒られて殴られるかも、とは思うし、そうしかねない不穏な雰囲気が虹村くんにはある。
でも、触ったら感電しそうなピリピリした雰囲気の彼が、黙々と街を歩いているのを見るたびに――私の胸は痛くなった。
友達になりたいのだ、と、強く思った。
話しかける勇気がでない私はいつも声をかけるタイミングを逃して、プリントは結局ポスト行きだけど。
畳んだプリントをポストにいれると、なかでかさりと音がした。
空っぽのポストに一枚だけプリントがはいっていると、なんだかチラシのように思えて捨てられていないか心配になってしまう。
「虹村くん、ちゃんとプリント見てるのかなぁ」
添えたメモ書きも見てくれていればいいんだけど。
なんだか憂鬱だ。徒労のような気がしてしまう。
肩を落として帰路に着こうとしたとき、不意に後ろから声がかかった。
「そこでなにしてる」
「っ!」
思わず硬直してしまう。肩がびくついた。
恐るおそる振り返ると、そこにいたのは虹村くんだ。
悪いことはなにもしていないのに息がつまる。彼は数メートル離れた位置にいるというのに、すぐそばで睨まれているような威圧感があった。
虹村くんは顎をあげて、じろじろと私を眺めた。警戒心全開というかんじで、すこぶる不機嫌そうだ。
「ぶどうが丘高校の生徒か。悪いがここは廃墟じゃあねぇぜ……失せろ」
「わ、私は、」
「――お前は」
虹村くんの目が、私と私の後ろにあるポストに向けられる。
「もしかしてお前、夢宮か」
「知ってるんですか」
「毎日毎日プリント入れに来てヒマなのかお前は」
普通にまとめて持ってくるだろう、と虹村くんが言う。そうかなぁ、と私は愛想笑いを浮かべて首をかしげる。
友達になりたいと思ってたのは本心だけど、本人を前にすると恐怖が先に来る。それでも逃げ出すことはせず、彼の目をまっすぐ見れた。
虹村くんが一歩私に踏み出した。家に入りたいのかと思って、私はポストの前から移動する。
すると私を追った彼が目の前に来た。
がっと顎を掴まれる。
「想像通り、平和ボケしたツラしてやがる」
「そ、そうかなぁ……」
顔をグッと寄せられると、キスされそうよりも先に殴られそうの方が怖く思えた。
虹村くんはしばし私を睨み付けたあと、突き飛ばすように私の顎を離した。少しだけよろけて、塀に背中が当たった。
「もう来んな」
冷たい声で吐き捨てると、彼は、錆びだらけの戸を開けて、家の敷地へと入っていく。
「あ、あの!」
背中に声をかけると、虹村くんは無言で立ち止まる。
「学校来なよ、みんな待ってるよ」
「……」
「私、いま、虹村くんの隣なの。授業とかわかんないことあれば教えるから」
我ながらお節介だ。月並みな台詞だし、不良に言っても響きそうにない台詞だなぁ、と思った。それでも本心だったから。
結局虹村くんは返事をしなかった。無言で玄関の扉を開けて、家のなかに入っていった。
明日またプリントを届けに来たら、虹村くんは怒るだろうか。
調理実習のケーキで釣れないかなぁと思いながら、全然懲りていない自分に気づいた。
2016/07/09:久遠晶
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