ラパートの涙 3
抜けるような晴天の下、込み合うカフェ・ドゥ・マゴのテラス席にはいた。
二人掛けの机に座るの向かい側に人はいない。
注文した紅茶はすでに三杯目になっているが、はにやにやと浮かれ顔だ。
露伴の突然の来訪と茶器の破壊から半年。
仗助に預けた祖父の陶器が復元され、のもとにかえってくるのだ。
「うふふふふ」
嬉しくて泣きそうになる。
紅茶を見つめながら微笑み、は仗助を待った。
仗助から陶器を受け取ったら、彼がなんと言おうと修繕の代金を支払わなければ。
――知り合いのつてで安くしてもらってっから、が気にすることじゃあないぜ。
この半年、が代金の話を切り出すと、仗助はいつもそう言ってはぐらかした。
気を遣ってくれることはありがたいが、それと金銭問題は別だ。
仗助は陶器を割ってしまったこととは無関係なのだから、修繕にかかった費用を肩代わりさせるわけにはいかない。
絶対に代金は私が払うぞ、とは気を引き締めた。
待ち人はいつまで経っても来ない。
は人を待つとことを苦痛に感じないタイプの人間だが、それにしても仗助が遅い。
なにか事故でもあったのだろうか? まさか、スタンド使いと戦闘にでもなっているのだろうか?
探しに行きたくなるが、が戦闘に鉢合わせしたところで足手まといになるだけだ。それに単なる遅刻だったとしたら、入れ違いになったら怒って帰ったと思われてしまう。
歯がみしながら紅茶を飲み干す。
落ち着かなくなって新しい紅茶と一緒にガトーショコラを注文した。
「それにしても……遅いなぁ……」
「仗助なら来ないぜ」
ティーカップを見つめていると、向かい側の席に何者かがどっかと座りこんだ。テーブルにゴトンと大きな荷物を置いて。
顔をあげると、今もっとも合いたくない人物がそこにいた。
岸辺露伴。
が大事な祖父の陶器を割ってしまった、元凶とも言える存在だ。
思わずの表情がこわばる。
露伴に対する怒りはもはやないが、笑顔で話せるほど心の整理がついているわけではない。
露伴は相変わらず不遜げな、ともすれば不機嫌とも思える表情でを睨んでいた。もしかすると自分も同じ表情をしているのかもれないな、とは思った。
「どういうことですか」
「どうもこうも、言ったままの意味さ、仗助は来ない」
話の意味が見えない。なぜ露伴がそんなことを知っているのか。
眉をひそめると、露伴は慌てたように言葉を紡いだ。
「陶器の修繕の件で仗助に頼まれてね」
「……仗助くんが言ってた知り合いのツテって、露伴先生のことですか?」
「まぁ……な」
露伴は歯切れ悪く返事をした。
与えられた情報だけで推理とすると、仗助に渡した陶器の破片が露伴伝手に業者へと渡り、修復された陶器を露伴が受け取る。そこから、仗助ではなく一足飛びにへ返却される――ということだろうか。
仗助には露伴との確執を言っていないから、「露伴とは知りあい同士だし、返却のときは俺が仲介しなくてもいーかっ」なんて軽い気持ちで露伴を直接寄越したのかもしれない。
は頭を抱えたい気分だった。
あからさまに表情に出しはしなかったが、陰鬱な気分は伝わってしまうらしい。
露伴は居心地悪そうに口元をゆがめた。
「これは……僕が仗助に頼んだんだ。アイツが受け渡しをめんどくさがったわけじゃない」
「え?」
「調べた。……きみのおじいさんのことを」
苦虫をかみつぶしたように顔をしかめて、露伴は顔を逸らした。
「五所川原剛三。陶芸家の巨匠だ。僕も感銘を受けて刺激された作家だよ。伝統を受け継ぎつつも既存の枠をはみ出た奇想天外な作品を生み出し続けた五所川原剛三が、まさかきみのおじいさんだったなんてな――いや、そんなこときみにとってはどうでもいい問題か」
「おじいちゃんって、そんな立派な人だったの?」
「……どうせ知らないと思ったよ。ヘブンズ・ドアーでみたきみの心に五所川原剛三のことは載っていなかったからな」
ため息をつく露伴にムッとする。心を読まれたことはこの際なにも言わないが、敬愛する祖父のことをなにも知らなかったのは恥ずかしかった。
ガトーショコラと紅茶が運ばれてきた。露伴もなにか頼むのかと思ったが、露伴はなにも頼まなかった。
要件が終えればすぐ帰るさ。露伴はそう言う。
「……あの日きみの家を出てから、どうすればいいのかとずっと悩んでいたんだ」
露伴は唇を濡らした。視線があちらこちらに揺れて、落ち着きがない。
「それで修繕の手配を、してくれたんですか?」
「いや……」
露伴は歯切れ悪い。
しばし露伴は迷って、やがて「見せた方が早いか」と呟くと机の上に置いた荷物をまさぐり始めた。
それも、手袋をはめてだ。
困惑していると、中から見知ったカタチの陶器が出てくる。
見間違えるはずがない。祖父の陶器だ。思わず手を伸ばす。
「漆で接着、金巻きして――おかげで破損個所に色ができちまったから、完全に元通りとはいかないがな」
手を伸ばしてそっと触れると、祖父に触れているような気がした。
作り手の器の大きさを表すようなゆったりとした陶器は手によくなじむ。
確かに、割れて接着された部分が金色の筋になっている。
これはこれで色のアクセントとして景色を楽しめるし、ひとつの陶器としての重厚さが増したような気さえする。
「半年かかったのは、これを修繕するために他の茶器で練習してたからなんだ……遅くなってすまなかったな」
「え? 露伴先生がやったんですか、これ?」
「そう言っただろう」
露伴は眉をしかめた。
会話を思い出すも、そのようなことは言っていないはずだ。
露伴は言葉足らずで誤解をさせて、『ちゃんと説明しただろ』とムッすることがままある。
半年間会っていなかったけれど、この人は相変わらずだなぁ――ぼんやりとは思った。
「五所川原剛三が、大事な孫娘の為に作った未発表の作品だぜ。僕のような素人がうかつに手を出していいわけがないだろ。短期間だが陶芸家に弟子入りして、色々やったよ」
「そんなことを……大変だったでしょう」
「なかなかに興味深かったよ。いい取材になった」
憮然とした表情の露伴に、頬がかすかにもちあがる。
露伴はなんでも漫画の糧にする男だ。はそんな露伴を、呆れつつも心から尊敬している。
人間性には疑問をもつが、物作りにかける真剣さにおいて露伴は誰にも負けないだろう。
わずかに雰囲気が和らいだに、露伴は心底ほっとしたように、それでいて緊張した面持ちだ。
「詫びをする方法が、これしか見つからなかった。……すまなかった」
露伴はテーブルに両手をつき、頭を下げた。
まっすぐで真剣な謝罪に、は言葉につまった。
陶器を割ったのは露伴のせいだが、陶器を修復したのも露伴だ。その為に陶芸家に弟子入りまでしたという。
言葉を重ねて謝ることはないが、だからこそ万感の思いがこもっている。
やばいな、と思った時にはの気持ちは限界だった。
「顔をあげてください、露伴先生」
「おい!? 泣いて――」
「泣いてませんッ! 大丈夫、大丈夫なんです。すぐおさまります」
ぽろっと涙がこぼれては慌てて服のそででぬぐう。
しばらくそうしていると、ああもう、と露伴が焦れたように手を伸ばした。露伴の指先に涙をぬぐわれ、は恥ずかしさと心理的な抵抗から逃れようとした。
だがここで拒絶すると、必死な露伴をさらに傷つけてしまうかもしれない。
は色々な感情をのみこんで、されるがまま涙を拭われる。緊張からか露伴の指は冷たい。
宣言通り涙はすぐにおさまって、嗚咽も出ることがなかったが、露伴はかなりうろたえているようだった。
露伴は人の涙というものを意に介さないイメージがあったから、動揺する露伴がには意外だった。人に泣かれたら露伴といえど動揺する。新しい発見だ。
「わたし、もう怒ってないですよ」
にこっと微笑んでみせるが、露伴は信用していないらしい。困った顔をしている。
「そりゃあ、割っちゃった時はなんてことをするんだ! って思いましたよ。そもそも料理中に抱きつくのってどうかと思うし、付き合ってない人間にするこっちゃないと思いますし」
「……あれは、好奇心の探究というヤツだ」
「だからいい加減、露伴先生は彼女を作った方がいいです」
「……」
「まあ、とにかく。でも、露伴先生の誠意っていうものはこの綺麗に復元された陶器を見ればわかります。だから怒ってません」
自然にこぼれた笑みを露伴に向けると、露伴はふいと顔を逸らした。
まだ、の本心をわかってもらえてないのかもしれない。は言葉を重ねた。
「納得できないなら……お詫びのシルシに、ひとつ。言うこと聞いてもらっていいですか?」
「僕が叶えられることでいいならな」
「じゃあ、私のとびきりの笑顔をスケッチしてくださいよ。人気漫画家露伴先生の、直筆似顔絵スケッチ!」
指先をひらめかせてが笑うと、露伴は面食らった顔をした。
は逆に露伴の表情できょとんとした。ガトーショコラを頬張って、紅茶をのみ込む。
「その程度でいいのか?」
「漫画家さんに書いていただく絵なんて、とってもすごいと思いますけど」
「だが、僕は……」
「まさか、巨匠五所川原の陶器に、僕なんかの絵は釣り合わない――なんて言いませんよね?」
笑いながら上目遣いのあざとい視線で尋ねると、露伴の瞳が鋭く光った。
挑発だと言うことは理解しているのだろう。不遜げに顎をあげ、笑いながらに手を伸ばす。
小突かれるのかとそなえていると、露伴の手はの手前、紅茶のティーカップをすくあげて逃げていく。
あっ、と声をあげるより先に、ごくごくとすべて飲み干される。
「この天才漫画家の僕に、愚問を言うんじゃあないぜ」
「あぁあ、まだ中身たくさんあったのに……じゃあ、お願いしますね?」
「被写体がイマイチだが、まあいいだろう」
「ひどい」
許したらすぐにいつも通りだ。
が唇を尖らせると、露伴はをじっと見つめた。
思わずたじろいで緊張する。顔になにかついているだろうか。
「では僕らの関係が修復されたところで、ひとつ言わなきゃならないことがある」
「は、はい。なにかの取材ですか?」
「キミが好きだ」
「……はい?」
さらりと、何気なく、例えるのであれば、自分の好物をかじる友人に「フィレカツチキンサンドは俺の好物だから一口かじらせてくれよ」などと頼む程度の気軽さで、露伴は確かに爆弾を落とした。
ガトーショコラを食べる手が止まり、時間が止まる。
露伴の目は真剣そのものだった。
告白された女子高生の反応を見る知的好奇心だとか、取材だとかそんなものではなくて、まぎれもない本心なのだと。瞳がなによりも雄弁に語っていた。
「ブフーッ!? おい露伴、話が違うじゃねぇか! 休戦協定はどうしたよ!?」
「じょ、仗助くん!?」
「それはと僕が仲直りするまでの間だけ、だろう? 文句を言うならオマエも告白すればいいじゃないか」
「お前な~ッ!」
硬直するの背後の席からやってきて、露伴の胸倉をつかんだのは仗助だ。
突然の幼馴染の登場に驚きを隠せないは、どういう表情をすればいいかわからずに目を瞬かせた。
話が見えない。
困惑していると、あぁッ! と根負けしたように呻いた仗助がキッとを見据える。
思わず背筋が伸びた。
「俺、が好きだ」
「うん、私もすきー……って、え? ジョウスケサン?」
「幼馴染としてじゃなく……女として……好きだ! こんなところでいきなり、悪ぃ!」
「さて。本心を交わしあったところでくんはどっちを選ぶ?」
「え、え?」
赤い顔をした幼馴染が叫ぶと、余裕ぶった露伴にたずねられて思わず聞き返す。
二度目の爆弾を落とされたの頭はまっさらになってしまって、収集のつかない事態へとなっている。
ふたつの真剣な目に息ができない。
とんでもないことに巻き込まれたような恐怖と焦燥感を覚えながら、は息もできなくなっていた。
キャパオーバーした感情にあわせて、涙がぶり返しそうになる。
その涙をぬぐうことになるのは誰だろう。
2013/6/25:久遠晶
とにかく、我の強さと状況を考えないせいで女の子の逆鱗に触れてしまう露伴を書きたかった。
本当は実際に露伴が陶器の修復をてがける職人さんのところに弟子入りしようとして断られたり、技術を学ぶうちに女の子の祖父が職人だったということに気づき……というパートを入れたかったのですが、さすがに門外漢すぎて書けませんでした。
もしいいね!と思っていただけましたら送っていただけると励みになります!