ラパートの涙 2



 が『死んだ人間は生き返らない』と気づいたのは、棺桶のなかで眠る祖父を見たときだった。
 『魔法使い』の幼馴染みは、いつでもの痛みを消してくれたけど。涙をこらえる人々の嘆きは……幼馴染みの優しい魔法でも治すことはできないのだろうなと、は幼いながらに思ったのだった。
 喪失の悲しみはいつだって後からやってくる。

 はぼんやりと当時のことを思い返しながら、割れた陶器を見つめて夜を過ごした。
 彼女が不注意で割ってしまったこの陶器は祖父の手作りの品で、世界にふたつとないものだ。それを割った。割ってしまった。
 そんなに大事なら額に飾ってしまっておけばどうだい。岸辺露伴は悲しみをこらえきれないにそう言った。
 的を射た意見ではある。
 だが「物は大切に使われてこそ輝く」というのが祖父のもの作りに対する持論だったから、はすこしずつ陶器を使い始めた。
 陶器に料理を盛り付ければ天国にいる祖父が食べてくれる気がしたし、料理が上達していけば祖父も喜んでいるような気がした。
 陶器作りは祖父の道楽であり生きる道だった。
 形は違えど芸術家である露伴にもその思いを聞いてほしくて、彼女は露伴に出す料理を陶器に盛りつけた。普段使いでありとっておきの食器だったからだ。

 それが、割れた。

 急に後ろから抱きつかれたとはいえ、割ったのは自分だ。は露伴を怒る気はなかった。露伴はにとっての陶器の価値など知らないのだ。仕方ない。
 仕方ないのだから、仕方ない。
 本心からの諦めと、それで納得できない怒りがある。

 いまの自分の気持ちがプリンス・ラバートの滴そのものだとは、我ながらよく言ったものだ――は割れた食器を集めながら思考する。
 プリンス・ラバートは強化ガラスの性質をもつが、内部は極めて不安定な形で均衡を保っている。滴の尾の部分をわずかにでも折ると均衡が崩れて全体が粉々に砕けてしまう。
 今回の一件は、間違いなくの心の端の部分をぺきりと折り、危うい均衡を保っていた露伴への感情を粉々にした。

 露伴にはしばらく会いたくない。しばらくと言わず、もう会いたくない。
 床にぶちまけてしまった肉じゃがを謝りながらゴミ箱にいれ、雑巾で床を拭きながらそう思った。
 喪失の痛みは祖父との思いでと陶器と歩んできた料理の時間。それだけではなく、露伴に対するものもあるのだろう。
 大きな感情の波がくると、は、泣くことすらできずに立ち尽くす人間だ。泣ければすこしは楽だったかもしれないが。

 その時不意に玄関のチャイムが鳴った。
 床の掃除を終え、そのまま寝てしまったらしい。床から体を引き剥がし、痛む体を持ち上げた。
 時計を確認すれば時刻は十二時で、窓から明るい光が差し込んでいる。
 居留守を使おうとしたものの、鳴り続けるチャイムに根負けして玄関に向かった。

「はい、どちらさまですか」
「よォ――って、すげェ顔してんな。どうしたよ!?」
「仗助くん」

 玄関の扉を開くと、見知った顔の幼馴染みが立っていた。
 東方仗助は充血しクマのできたの目元に気付くと表情を変え、あからさまにうろたえる。

「なにかあったのか? ……ちゃんと飯食えてるか?」

 大きな身体をまるめて、不安げな顔をしてを見つめる。
 おそるおそると言った具合に目もとに触れられると、さくれだった心が途端に凪いで行くのがわかった。
 気持ちが落ち着いて、作り笑いを浮かべる余裕ができる。

「ごめんね……だいじょうぶ。それで、なんの用?」
「今日朝からお袋がいねーから、そっちで昼飯食おうかと思ったんだけどよォ……愚痴ぐらいなら聞くぜ。いま、大丈夫か」
「……ありがとう」

 愚痴にして吐き出せるほどの出来事があったわけではない。皿を割っただけだ。
 は笑って仗助を追い返そうとしたが、心底心配してくれていることがわかって、仗助を家にあげた。気持ちをむげにしたくないと思ったのだ。

「別段なにかがあったわけじゃないんだけど」
「……ありまくりじゃねぇか」

 台所に集めた陶器の破片を見て、仗助くんが顔を歪めた。
 祖父のものだと、一瞥してわかったらしい。

「一応聞くけど、俺の――」
「うん……私はそうしてほしいけど、おじいちゃんは多分そういうの、喜ばないから」

 壊れてしまったもの壊れてしまったもの。仕方がないことで、嘆くことじゃないんだよ。
 大好きな服を破いてしまって泣きじゃくるにそう言って頭を撫でた祖父の言葉を思い出す。
 壊れたものは壊れたもの。繋ぎ合わせたり他の素材を用いて、新しいものを作り出すことに意義を見いだす。の祖父はそういう人物だった。
 超自然的な現象で破壊を『なかったことにする』――普通の人間にはそう見える――など許してくれそうにない。そもそも祖父が死んだ理由は、体にメスを入れることを嫌っての病死なのだ。

「そうだよな……」

 祖父の人柄をよく知る仗助は苦虫を噛み潰した顔をして、テーブルにつっぷした。
 自分と一緒に困ってくれる仗助がありがたかった。仗助はしばし眉をしかめて唸っていると、はっとしたようにに向き直る。

「なあ、この破片すこし預けてくれねぇか」
「え?」
「スタンド能力で治すのはダメでも、人の手で修繕すんのはアリだろ?」
「あ……! それなら大丈夫! そっか修繕……じゃあ、さっそく修繕してくれるところを探して電話しなきゃ!」
「俺がやるって言ってんだろ~ッ。俺が手配しておくから、お前は寝てろよ」
「え、そんな、悪いよ。私がやるよ」
「悪いよ、なーんて言葉は俺たちの間にナシだぜ」

 眉間を中指でピンとはじかれる。
 ニカッと歯を見せて微笑む仗助に、また涙がこぼれそうになってくる。

「あ、ありがとう。じゃあお願いするね」

 泣いたらとまらなくなりそうで、はこの話を終わらせたい一心でお願いをした。自分と仗助との関わりの深さを引き合いに出されると、頼らないわけにはいかないのだ。自分も同じ言葉で、仗助の負担を肩代わりしているのだから。

「そうだ。ご飯食べに来たんだよね。よかったら昨日の夕飯食べてよ」
「おっしゃ!」

 涙をぬぐいながら立ち上がって、コンロで肉じゃがを温めはじめた。昨日露伴に振る舞うはずで、振る舞えなかったものだ。
 作り置きのために大量に調理したためまだ沢山残っている。
 昨日は食べれなかったが、一晩で味が染みてより美味しくなっていることだろう。
 歪む表情を見せたくなくて、は台所に向かったまま仗助に背をむける。

「おい、……」
「ゴメン。なんでもないから……ちょっと、気にしないで」

 できる限り明るさを装って言う。心からの頼みだった。涙がでない代わりに、声とからだが震えだす。
 温めた肉じゃがを懸命に皿に盛り付けていると、不意に背後に気配がした。
 長い腕に体を絡めとられる。
 体がびくつき、手から力が抜けた。落ちかけた皿を仗助が支え、事なきを得る。

「ひとりで泣くなよ」

 耳元で真剣な声。背筋が震える。
 仗助は掴んだ皿をクレイジーダイアモンドに渡した。リビングのテーブルに置く音が背後から聞こえる。

「お前、そんなにキャパが広いわけじゃあないんだからよォ。……俺が居るときぐらい、我慢すんなよ」
「仗、助く……この体勢は」
「あんだァ、この仗助くんの腕のなかがいやだっつーのかよォ~ッ。贅沢だぜ!」

 一転して冗談めかした声。
 優しい抱擁で、が望むと望まざるに関わらず、背中が暖まっていく。

「どういう経緯でじいちゃんの皿割っちまったかは、聞かねーよ。でもよ、お前がそんな顔してたら、やっぱお前のじいちゃんも浮かばれねぇと思うぜ」

 今は泣いてていいから、そしたら笑えよ。
 そう呟く仗助の声はかすれていた。当然だろうとは思う。
 この言葉は……仗助自身にもはねかえるはずなのだから。
 仗助は自信の祖父の葬式も、決して涙を見せなかった。カタキはとった。そう言って、すこしかすれた目でに笑ったのだ。

「仗助くん、私にばかり泣かせるなんてひどいよ」

 泣き笑いで言うと仗助くんは面食らった顔をして、それから苦笑した。

「お互い泣いてすっきりしよっか……胸、借りるね」
「……俺は、別に」
「うそばっかり」

 身じろぎをして、仗助の腕のなかで回転する。胸に頬を寄せると、仗助のからだがこわばるのがわかった。
 恥ずかしいのだろうか。だって恥ずかしい。お互いさまって思って、はすこし笑った。

「泣きっぱなしも浮かばれないけど、我慢ばっかりも浮かばれないよ」
「やめろよ、マジで。俺を……しょーしんにつけこむ……ッ男にさせてーのかよ、お前は……」

 言葉が途中で水音をはらんで、うまく聞き取れなくなる。
 それはもそうで、いつしかふたりで泣きじゃくっていた。


   ***


 はっと気づくと、はベッドに横たわっていた。
 気づかぬ間に眠ってしまって、仗助がここまで運んでくれたのだろうか。
 喉が痛い。頭痛がする。よほど泣いてしまったのだ。
 陶器が割れたことに泣き、そこから祖父の死を思い出して泣き、仗助の祖父の死で泣き……仗助が泣いていることに泣き、仗助が胸を貸してくれることに泣き。
 情緒不安定になったは、悲しみでもありがたみでもぼろぼろと泣いた。

「おお、。やっと起きたか」
「仗助くん、ごめんね寝ちゃって。って、もう八時?」
「おう。あ、肉じゃが、全部食っちまった」

 困ったように笑う仗助の目は赤い。ほどではなくとも、仗助もそれなりに泣いたのだ。声もかすれている。

「……つくり置き……」
「悪かったって。おわびに仗助くん特製チャーハンを作ってやるから、ちょっと待ってな~」
「ありがとう。ゴホッ」
「風邪?」
「喉が痛いだけだから……あぁ、大丈夫だよ、大丈夫」

 クレイジーダイアモンドを発現する仗助を片手で止める。
 今の喉の痛みや目の充血などは病気によるものではないので、クレイジーダイアモンドで治せるだろう。だが、自分の苦痛だけを治してもらう気はなかった。
 仗助だって、喉が痛ければ目の腫れぼったいはずなのだから。
 の気持ちがわかったのだろう。仗助は優しくの額を指で小突き、笑った。

「傷は治させねーわ据え膳出して放置するわ、困ったやつだぜ」
「へ? 据え膳?」
「そりゃあんだけ情熱的に抱き締められたまま眠られたら、オトコはヨクボウをもてあますってモンだぜー?」
「んなっ!? も、もー……。据え膳って、最初に抱き締めたのは仗助くんじゃない」
「拒まない時点でオーケーのサインだぜっ」

 あっけらかんと笑う仗助に、は頬を紅潮させ困った顔をした。
 幼馴染みとは言え、付き合ってもいない異性に抱きついて胸に頬を擦り寄せたのだ。
 とはいえ恥ずかしいのはお互いさまだ。ふたりとも、互いにすがって泣きじゃくったのだから。

「仗助くん、ありがとうね」
「……コチラコソ」

 憮然とした赤ら顔に吹き出してしまった。
 本当にいい友人を持った。心の底からそう思う。

 しばらくは寂しい気分を味わうだろうが、時間が経てば露伴に会うこともできるだろう。
 クレイジーダイアモンドは壊れた心を治せない? そうかもしれない。だけど、誰よりも優しい心をもつ幼馴染みは確かにの心を癒してくれた。
 彼の魔法を否定する人間がいたら、きっとは怒って力説してしまうだろう。
 幼馴染みのもつ、優しい魔法の力を。





2013/6/13:久遠晶

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